vol390タケさんの明るいアカペラアカデミー  (アカペラブログ)

港南台アカペラシンガーズ 練習日誌
8月31日港南台ひの特別支援学校 音楽室

本日の参加者数
女声・童声 5人 テナー 2人  ベース 2人 計 9人

主な練習内容
男声は「花の首飾り」と「イエスタデイ」の歌詞付け。
混声は「手のひらを太陽に」で発声練習。「峠のわが家」「グリーングリーン」を歌って「いっしょに」の移動ド読みで音取り続けます。最後に「にじ」も歌いました。

vol389タケさんの明るいアカペラアカデミー  (アカペラブログ)

港南台アカペラシンガーズ 練習日誌
8月24日港南台ひの特別支援学校 音楽室

本日の参加者数
女声・童声 2人 テナー 2人  ベース 2人 計 6人

主な練習内容
男声は、新しく「イエスタデイ」。
混声は「にじ」と木下牧子作曲の「いっしょに」の音取りをしました。
男声、混声ともに音取りは、事前に音源を配布していますが、練習会場では移動ド読みを取り入れました。
邦人合唱曲を取り上げるのは久しぶりです。キャッチーな曲を取り上げることが多かった港南台アカペラは、これから新たな境地を切り拓くことができるでしょうか。

おまけの話

ハーモニーを探し求めて50年〜自伝風に。その6

藤沢男声 団内指揮者

6月1日、今年で創立45周年を迎えた藤沢男声合唱団の演奏会に伺いました。結成当時の荒々しい野武士のような発声は、影も形もなくマイルドな美しいハーモニーが藤沢市民会館のホールを満たしていました。世界中から数多くの名演奏家が訪れた市民会館も、よる年波には勝てず改築するそうです。(ちなみにこのホールの設計者は親戚ではないのですが武部さんでした。)
さて、藤沢男声では指揮者が不在の場合、団員が音取りを進めておくのが、暗黙のお約束で、なぜかボクがその役でした。つまり団内指揮者というわけです。
この頃、東芝のスタジオに入ってレコーディングを体験しています。曲は池辺晋一郎の「冬に向かって」で、指揮は福永陽一郎。藤沢男声は混声合唱の男声部を受け持ったのです。この曲は当時の藤沢男声にとっては、難しく苦労しながらボクの弾く拙いピアノに合わせて音を取っていたのを思い出します。
市民オペラの舞台中心に活動してきた藤沢男声ですが、田中登志雄先生を迎えて演奏会を開く運びとなりました。ボクは第1回から第3回までの演奏会でポップスステージや多田武彦のステージを振らせていただきました。ポップスステージの曲は陽ちゃんの自宅に上がり込んで、書棚から探し出した楽譜で構成したもので、膨大な楽譜に目を通している時間は至福の時でした。

vol388タケさんの明るいアカペラアカデミー  (アカペラブログ)

港南台アカペラシンガーズ 練習日誌
8月17日(日) 日野南公園 18:55〜19:15
富士見夏祭り

本日の参加者数
テナー 2人 ベース 2人 計 4人

演奏曲
「廃墟の鳩」「花の首飾り」「いつまでもいつまでも」「なんとなくなんとなく」「小さなスナック」「オブラディオプラダ 」

今夜は日野南公園の富士見夏祭りに出演しました。お祭りの屋台の上での演奏は、皆様の声援もあり、とても楽しかったです。

おまけの話
ハーモニーを探し求めて50年〜自伝風に。その5

戸塚混声を立ち上げた頃

もう40年も前の話なので、おそらくは団員にさえ忘れ去られているけど、ボクは1985年10月に戸塚混声合唱団を立ち上げています。現在は星野聡先生の指揮で活動を続けており、オペラやオーケストラ付きの大曲にチャレンジされています。
きっかけは戸塚文化協会音楽部でバッハのカンタータ147番「主よ人の望みの喜びよ」を区民オーケストラの伴奏で演奏した時の話。合唱指揮はNHK放送合唱団で活躍されていた野村先生。誰もが聴いたことがある名曲なのですが、バッハのカンタータなので当然フーガがあるわけです。
ボクは自分がしっかり歌えているわけでもないくせに「中核になるような混声合唱団があれば、いいのになぁ。」と感じていました。若気の至り。合唱団の結成と団員募集のチラシを作って広報をスタートすると、次々に我が家に問い合わせが来たのです!
それでも最初の練習日にいらしたのは、女声ばかり。その後男声が増えて、混声四部合唱がサマになるまでには、ずいぶん時間がかかりました。
合唱団を作るとなると、練習会場の他に、指揮者や伴奏者を探さなければならないのですが、区内で合唱を指揮されている方を訪ねてもあまり感触は芳しくなく、腹を括って自分でやってしまおうと覚悟を決めました。
伴奏者は、練習が始まるとT岡先生が引き受けてくださり、活動が順調に回り始めました。T岡先生をはじめ、勤務校のご縁でソプラノに参加してくださったSaさん、その後アルトのリーダーとして団を盛り上げてくださったS iさん、団内結婚されてずっと参加されているH夫妻・・発足時にご協力いただいた皆様には、本当に感謝しております。

vol387タケさんの明るいアカペラアカデミー  (アカペラブログ)

港南台アカペラシンガーズ 練習日誌
8月16日(土) ひまわりの郷ホール
カルテットジョイントコンサート VoiceVox出演

本日の参加者数
テナー 2人 ベース 2人 計 4人

演奏曲
「廃墟の鳩」「花の首飾り」「いつまでもいつまでも」「なんとなくなんとなく」「小さなスナック」「オブラディオプラダ 」
リハーサルではマイクの使い方について学びました。思案の結果マイクは手持ちで歌うことにしました。
開演すると客席は満員御礼!6つのカルテットが、それぞれ持ち味を活かした演奏を披露しました。

vol386タケさんの明るいアカペラアカデミー  (アカペラブログ)

港南台アカペラシンガーズ 練習日誌
8月10日 10:00〜  BIG ECHO

本日の参加者数
テナー 2人 ベース 2人 計 4人

主な練習内容
混声練習は練習会場が工事のため、夏休み。ところがVoice Vox は0816.0817と控えているため、休んでいられません。マイクを使った練習が必要なのでカラオケ店に集まって練習しました。

おまけの話
ハーモニーを探し求めて50年 〜自伝風に。その4

小学校の合唱部
よく言えばワイルドな、まぁほとんど吠えているだけの男声合唱に4年間浸って、1979年4月ボクは横浜市立深谷小学校に新任教員として着任した。
入学式のアトラクションに同校の合唱部が登場して「気球に乗ってどこまでも」を歌ってくれた。そのさわやかな歌声に惹かれて、気がついてみたらボクは合唱部に指導者としてお邪魔していた。
経緯は、その学校に同じ大学出身の先輩がいらして「大学の時、グリーの指揮者だったでしょ」とおっしゃる。なぜそんなことをご存知なのかわからなかったが、その先輩はクラブ担当を振り分ける仕事をしていたので、気がついたら合唱部に配属されていたわけ。
教員の働き方改革で、土日の部活指導が話題になっているが、その学校は他にもバスケ部(ミニバス)やサッカー部があって、それぞれ毎朝、毎夕、土日もお構いなしに練習していた。担当者のすさまじい情熱とエネルギーが注がれていたのだ。
今も書棚には、小学生向けの曲集が並んでいる。この頃の学びの履歴が、いずれ音楽専科になる時代を準備していたのかもしれない。

vol385タケさんの明るいアカペラアカデミー  (アカペラブログ)

港南台アカペラシンガーズ 練習日誌
7月27日港南台ひの特別支援学校 ホール

本日の参加者数
女声・童声 4人 テナー 2人 ベース 3人 計 9人

演奏曲
本日は「一中校区音楽会」。港南台アカペラは出演順2番で、「花の首飾り」「峠のわが家」「グリーングリーン」「夢をあきらめないで」を演奏しました。

おまけの話
ハーモニーを探し求めて50年〜自伝風に。その3

藤沢市民オペラの頃
大学を出て、小学校教員になったボクはまだ合唱を続けていた。初めは横浜のYMCA混声の片隅で歌っていたのだけど、後輩のFから藤沢でオペラに参加する男声合唱団ができると聞き、藤沢男声合唱団に入りました。何とその団はあの福永陽一郎さんが創られた男声合唱団だったのです!(今年で創設45年)
藤沢市民オペラでは「カルメン」「蝶々夫人」「ウィリアム・テル」「アイーダ」「椿姫」「ファウスト」に合唱で参加しました。またその時のソリストのご縁で「ドン・ジョバンニ」「オテロ」「フィガロの結婚」にも出させていただいています。
オペラは、総合芸術の最たるもので、大勢の人々が力を入れて合わせて舞台を作り上げていく過程は圧巻です。
「ウィリアム・テル」は本邦初演だったのですが、やがて小学校の音楽教科書に舞台写真が掲載されました。よく見ると群衆の中に、豆粒のような大きさでボクの存在が確認できます。子どもたちに「ほら、映っているでしょ」などと教科書を見せながらよく自慢していました。

vol384タケさんの明るいアカペラアカデミー  (アカペラブログ)

港南台アカペラシンガーズ 練習日誌
7月20日港南台ひの特別支援学校 音楽室

本日の参加者数
女声・童声 3人 テナー 2人  ベース 2人 計 7人

主な練習内容
男声は、グループサウンズの曲。
混声は発声練習を兼ねて「われは海の子」。来週の一中校区音楽会の演奏曲を歌いました。「峠のわが家」「グリーングリーン」二組の混声カルテットをつくり、お互いに聴きあう練習をしました。「夢をあきらめないで」。はテンポの合わせ方を確かめて、最後に通し練習+録音をしました。

おまけの話
ハーモニーを探し求めて50年〜自伝風に。その2
横国グリー学生指揮者の頃
大学生の合唱団体には、学生指揮者がいる。ボクの代が執行部学年になった時に、だれを指揮者にするかで、何とボクがなってしまった!
ボクの代は鍵盤楽器や楽典が得意なメンバーが少なく、さらにボクの声はバリトンに溶け込めず違和感満載だったので、いっそ指揮者にしてしまえ! ということだったのかもしれない。
そうは言っても指揮法のイロハさえわからないので、常任指揮者だった山根一夫先生に指揮棒の振り方を教わりに行った。お刺身を持って行くと先生は、親切にクルト・ヴェス仕込みの指揮法を教えてくださった。
学生指揮者のデビューは、だいたい卒業生を送り出す会が定番だ。ボクが指揮デビューした時に詩人の小田切清光さんが会場にいらしていて「武部くん、まるで小澤征爾みたいだったよ」と言ってくださった。お世辞にせよ、この一言でボクはすっかり有頂天になってしまった。
選曲については、パレストリーナ、多田武彦の木下杢太郎、黒人霊歌、岬の墓と、創団30周年を記念するステージが組めたと今も自負している。楽譜の手配については早稲田大学グリークラブのライブラリアンにとてもお世話になりました。
ボクの振った木下杢太郎の「両国」は詩に合わせてテンポを自在に変化させるかなりエキセントリックな演奏で、若気の至りとは言え、よくみんなが付いてきてくれたと思う。
また「岬の墓」の演奏については、編曲者である福永陽一郎さんを小田原まで訪ねた。
帰り際飲み会に同席したことや帰る方向がいっしょだったので、辻堂までタクシーに同乗させてもらったことしか覚えていないけど。

vol383タケさんの明るいアカペラアカデミー  (アカペラブログ)

港南台アカペラシンガーズ 練習日誌
7月13日港南台ひの特別支援学校 音楽室

本日の参加者数
テナー 2人 ベース 2人 計 4人

主な練習内容
今日は参加人数の関係で男声練習。
曲は「どこまでも行こう」「廃墟の鳩」「花の首飾り」「いつまでもどこまでも」「なんとなくなんとなく」「小さなスナック」「オブラディオブラダ」を歌いました。
4人のバランス。歌詞の助詞の部分であまり息を押さないなどに気をつけて練習してみました。

おまけの話
ハーモニーを探し求めて50年〜自伝風に。その1

ボクはバリトン!
いかにも新入生の勧誘するデモ演奏の前でボクは突っ立っていた。生まれて初めて生の男声合唱の響きを聴いたのです。
でも、まさか合唱団に入ることになるなんて思ってもみなかった。その大学(横国)に名前が売れてるサークルなんて見当たらなかったし、演奏旅行をしているという張り紙を見つけ学生のうちにあちこち旅行してみたかったボクは、とにかくグリークラブというところに行ってみた。
まず先輩の前で声を出して、パートを決めてもらう儀式から始まる。「顔がバリトン」「ジャンパーを着ているからバリトン」などと意味不明の言葉が飛び交う中、実際に声を出してみると、当時はとても声域が狭くてバリトンにお世話になる運びに。
パートリーダーはYさん。地味なバリトンパートをギコギコ足踏みオルガンを弾きながら教えてくれた。ボクはただデカい声が出るだけの部員で、発声法も響かせ方も何も知らなかったから、先輩たちはさぞかし困ったことだろう。
憧れの演奏旅行は静岡〜三重〜京都と回った。京都では数年後に全国を制覇することになる京都産業大学とのジョイントコンサートだった。勢いに任せて歌いまくっていた我がグリーのスタイルがボクは好きだった。
京都ではベースパートの仲間がフラッペの食べ過ぎが原因で全員腹を壊していたことが思い出される。バカバカしく呆れる話のネタは尽きない。

vol382タケさんの明るいアカペラアカデミー  (アカペラブログ)

港南台アカペラシンガーズ 練習日誌
7月6日港南台ひの特別支援学校 音楽室

本日の参加者数
女声 3人 テナー 2人 ベース 3人 計 8人

主な練習内容
男声は、「花の首飾り」から。自習用に録音しました。「オブラディオプラダ 」の分担を確かめて歌いました。
混声は一中校区音楽会の演奏曲を歌いました。「峠のわが家」「グリーングリーン」「夢をあきらめないで」全員合唱曲「われは海の子音取り。最後に混声の曲を通しました。

おまけの話
身体をほぐす、心をほぐす。3
野口三千三先生には「原初生命体としての人間」という著書があり、野口体操の理論を自ら解説しておられる。

私たちが好む好まざるに関わらず、すでにお付き合いが始まっているAI。生成AIは高度な知識処理能力や演算能力、言語表現力を有する。
しかしながらAIは肉体を持たない。だから変化し続ける肉体から発せられる新たな感覚やその言語化はできない。(と思う)

「私はしがらみのない政治家です」などと演説する候補者がいる。そんなことが可能なのかどうかは置いておいて、生活上のしがらみを減らし、心と身体を解放したいと感じている人は多いでしょう。そこで近くのジムに通ったり、足腰が衰えないようにご近所を散歩したり、いろいろ精を出しているわけですが、しがらみから解き放たれたいと願っている人にこそ、本書はお勧めなのです。
この世に生を受けてから、ずっと私たちの身体の自由を奪っているのは、重力。地球上それも陸上で暮らす以上重力の支配を逃れることはできない。逃れられないならいっそのこと、重力に身を委ねてしまってはどうか。それが野口三千三先生の発想です。

vol381タケさんの明るいアカペラアカデミー  (アカペラブログ)


港南台アカペラシンガーズ 練習日誌
6月29日港南台ひの特別支援学校 音楽室

本日の参加者数
女声・童声 3人 テナー 1人 ベース 2人 計 6人

主な練習内容
今日は混声練習。「夢をあきらめないで」の音確認、後半は各バート一人の混声カルテットになって「峠のわが家」と「グリーングリーン」を聴き合う練習をしました。「グリーングリーン」は結構楽しく歌えたと思います、

おまけの話
身体をほぐす、心をほぐす。2
演劇に興味が湧いてきて、アマチュア劇団の活動に参加すると、見たこともない不思議な体操をしている。何でも「こんにゃく体操」と言うらしい。
ん? 思い出したのがグリーの頃一年上のW先輩が練習の前にやっていた体操と瓜二つ。その後さかえ男声合唱団のH先生からも、芸大の伝説的な体操として教えていたました。
本当の名前は野口体操で、提唱者は野口三千三先生。
^_^

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